
人・ひと 合同展2002年11月1日(木)〜11月12日(火) ギャラリー・ノア(石川県松任市)
『秘すれば花』(世阿弥)という言葉があるが、裸婦の絵は正面もいいが、後姿には"秘するところ"があって却ってエロチックであり、物語性がある。例えば、ピエール・ボナールの「鏡」はその典型的な名画だ。 「人、ひと」展で新人、ベテランら14人が近作を展示している。独立美術協会の田井淳は「無限のなか」(F10)を出展、その裸婦の後姿は未来を物語っているとのことだが、渦巻となった荒い線と濃いブルーでそれを暗示している。「ものには表と裏がある。一般に表は分かりやすいが、実際は分からない裏を知りたいもの。それを絵で表した」と語る。 31歳の原崇浩の「MASK」もまた"秘すれば"の作品だ。少年が仮面を半分ほど取っている状態は未来の予告であるという。不気味な顔の表情とエンピツ描きがさらに深みを加えている。ドラマがある作品でみずみずしい。原田は金沢美大油絵コース卒、若くして中日大賞を受賞。国画会の俊英である。 この展覧会にはそのほか実験作や意慾作があり、石川の美術も少しづつだが前進しているようである。 ギャラリーノア TEL:(076)276-4486 |
相沢まり子個展2002年11月6日(水)〜11月11日(月) ギャラリーアルトラ(石川県金沢市)
2001年11月に初めて東欧をスケッチ旅行した時の48点と、2000年のスペインを2点、すべてが水彩の風景画。F2〜F20、小さいものは現地で描くが、大きいものは日本に帰ってから「心象風景」として記憶を膨らます。主にF20に使用したのはイギリスで求めたアート紙で、水の含みによって縮み具合が微妙に変化し、一見和紙に直接描いたのかと錯覚させる。そんなマチエールの面白さも魅力として加わっているが、とても優しい絵だ。 2年に1度は海外に絵を描きに行く。中国は3回、アメリカ2回、イギリス、フランス、イタリア、トルコ、スペイン、ギリシアにメキシコ、キューバとほぼ世界中周った。「旅行して、そこの風土や文化にふれて、それを大事にして描くと、逆に日本が見えてくる。そう、いちばん描きたいのは日本なのです。四季があって、島が緑ですっぽりと覆われている国なんて無いですよ、どこにも。日本のいいものがどんどん無くなる時代、外国の田舎は誇りを持っていて素晴らしい、日本ももっと誇りを持って田舎を守らないといけません。ほんと何とかしなくっちゃ」。 石川県津幡町の出身、金沢美術工芸大学卒業、金沢市在住。そして今、アジアの文化に眼が向きはじめた。「マンダラ。多様な価値観が認められる世界。今後の美術界も、世界もそうならないといけませんね」。 ギャラリーアルトラ TEL:(076)231-6698 |
蔡國華 展2002年11月2日(土)〜11月10日(日) 美術サロンゆたか(石川県金沢市)
才能というものはこういったものをいうのだろう。実際に絵のサイズも大きいのだが、このスケールの大きさはどうだ。蔡國華はまだ38歳、人生を知り尽くしたかのような、この表情の深さはどうだ。 もっと我侭で厳しくて怖い方かと思っていた。会って話をしてみて、まったく予想に反し、人あたりも柔らかく優しくて、どちらかというと"照れ屋サン"、そんな感じ。こんな絵を描く西欧人だったら、絶対にこうはならない、黙して決して他を寄せつけないか、自説を朗々と語るか、だ。 蔡國華は1964年、上海に生まれた。87年、国の大学芸術進修班修了のころ、国の体制が変わり海外留学も可能になった。「こんなチャンスは2度とない」と、日本へ友人をたより語学の修得にやってきた。生活費は美術館で絵を運ぶアルバイトで捻出したが「やはり絵に接していると、描きたくなリました。それまでの中国には絵で生計を立てる、絵のプロという概念はなかったのです。プロになりたい、そう決心して武蔵野美術大学に入学しました」。97年修士修了後、99年人体デッサンを学ぶためオーストラリアに2年間留学、「1000枚描きました」。 EXPRESSIONはF100のシリーズ。「顔を通して"人がどういう人生を送ってきたか"、その時間を描いている」。西欧と日本と中国、蔡國華による三つの文化融合の試みは、まだ始まったばかりなのだ。 美術サロン ゆたか TEL:(076)232-1341 |
多々見靖夫個展2002年10月25日(金)〜11月6日(水) ひろた美術画廊(石川県金沢市)
「美しい、おもしろい、こんな絵を描いてみたい」。テンペラ画「手品師」(6号)の前で体の不自由な女の子が車椅子から身を乗り出すように鑑賞している。男たちの顔の表情がいいね、と説明しているのは、その子の父親。ほほえましい風景である。作家は洋画家多々見靖夫。 トランプをしている3人の男たち。一人はゲームに勝ったのであろうか誇らしげな顔。負けた男の顔は落胆の極みの表情だ。もうひとりは傍観者である。3人はバラバラの表情だが円満に収まっている。顔の表情をこれほど豊かに描ききる作家は稀であろう。 多々見は美術学校の出身ではない。工業大学出の技術屋だったが、絵画に魅せられ二紀会に所属、宮本三郎に師事した。「絵のタッチが宮本先生に似ているといわれましたが、今ようやく自分の絵を描くことができるようになりました」と語る。 独自の世界を築いた卵テンペラ画に取り組んで10年、日進月歩の努力を積み重ねた。難しいのは絵の具を溶かす卵、白身と黄身の調合である。多く混ぜると艶が出過ぎて漆のようになり絵の本来の輝きがなくなる。卵の配合がテンペラ画のポイントだという。 艶やかな色合い、無理のない構図、だれにでも好まれる題材、これらが多々見の絵の持ち味。女の子が好きな絵を見ていると、なるほどと思う。 ひろた美術画廊 TEL:(076)240-0007 |
生命都市シリーズ2002 小山佐敏展2002年10月26日(土)〜11月4日(月) ギャラリー アルトラ(石川県金沢市)
2000年に、金沢で最初の個展をギャラリーアルトラで行なったあと、第5回「小磯良平大賞」を受賞した。いわゆる世界が一変したかのように? 2001年には、全国で多くの個展が企画された。10月の美術サロンゆたか(金沢市)での個展は本サイトの展覧会訪問でも紹介されている(巻末のバックナンバー3を参照)。 一徹な作家で、絵のスタイル、テーマは四半世紀変えていない。"生命都市シリーズ"と題された作品群のモチーフは、近代都市の夥しいビルの群がうねるように、あるいは一直線に、のびて、やがて大きな一つの形を造っていくというもので、人間の造った都市が、それ自身あたかも生命体であるかのように成長していくという、かなり壮大でショッキングなもの。一体どこまでのびていくのか、作者の小山自身が謀りかね、そして、あげく楽しんでいるのでは、と思わせるフシさえある。変化する都市が面白くて仕様がなく、それでテーマを変える必要などサラサラないというわけなのだ。 でも、少しだけ違ったモノも見てみたい、というのは贅沢な願いなのでしょうか? 小山は1953年、熊本県天草の、海と山の自然の中に生まれ育った。1980年に東京美術学校を卒業するのだが、東京のビルの群への驚愕が、今もって続いている。 ギャラリー アルトラ TEL:(076)231-6698 |
創造美術会展2002年10月25日(金)〜10月30日(水) グリーンアーツギャラリー(石川県金沢市)
グループ展や大きな団体展はにぎやかに、雑多に展示し、どの作品が優れているのか分からないことがある。が、こじんまりした展覧会ではゆったりと鑑賞ができ、将来性があり価値ある作品に出会うものだ。思わず目の下のウロコが飛んだ作品2点に出会った。 創造美術会のグループ展である。作家は松下三恵子、所属して2年目。1年目にして同会の本展で入賞、新しい女性作家の誕生だという。「ファラ王」、大きくがっちりとした上半身、画面全体に調和がとれてバランスがよい。目の上部を省いて描いているが、面白みがありナイーブな感性が読み取れる。色彩もまとまっており、美の力というものを表している。みずみずしい印象を与えた。 中田俊彦の彫刻も新鮮だ。「トナカイ」という作品、「ワイヤーと柳の小枝を珪藻土で固め、生きている感じを出した。動物をモチーフとした場合、生きているという状態を表現しなければならない。ここが難しい」。なるほど動きがある。中田は会に所属して30年、こちらはベテランの味である。 グリーンアーツギャラリー TEL:(076)245-7222 |
林一平彫刻展2002年10月23日(水)〜10月31日(木) ギャラリー那珂(石川県金沢市)
骨や口、頭などをモチーフにした彫刻展は鑑賞する側を不思議な神秘の世界に誘う。林一平30歳、若い作家の発掘展だ。「沈黙」がテーマ。 「沈黙のなかに、人間は語りたい何かがあると思う。その何かを探りたいという衝動が口や頭、骨というオブジェで表現した」。人間の生と死のサイクルを示唆しているという。 「叫び」という作品。口から舌がベロッと3枚、言いたいことが言えないもどかしさを突き出した舌で表現している。ムンクの絵を思い起こす。「頭」は語るべきことがいっぱいあってパンクの状態をいう、まさに爆発寸前の沈黙の世界である。 「骨」をモチーフにした作品もイメージは死だ。口の形にした四方の板にぐるっと白い骸骨が描かれ、真中は空白である。骨は死・沈黙、空白は生・語りを暗示している。「ベニアに白いボンドを塗りバーナーで焼いていきますが、骨を表す所だけは焼かないで残すのです」。制作技術も若者らしい発想だ。 金沢美術工芸大学彫刻科を卒業して8年。将来性のある、秀れた作家の出現である。 ギャラリー那珂 TEL:(076)260-4115 |
辻実洋画展2002年10月24日(木)〜10月29日(火) スタジオ・イン 石蔵(石川県小松市)
「絵とはこうあってほしい」という問いを辻実洋画展での「漁港(安宅)」(150号)が答えている。写実に基いた何げない風景画にみえるが、画面全体が力強く躍動感がみなぎっている。水面の波立つ様を大胆に描いた手法はすごみさえ感じる。この作品で東京都知事賞を受賞した。 絵は自由な発想で描くもの、対象も色も制約されるようでは絵は死んでしまう、という。「いま美術団体、会派の高齢化が目立っています。特に絵画部門で顕著ですね。一種の縛りのようなものがあって若い人が育たないのです。陶器や漆、クラフトなどでは20、30台の若者が多く輩出しています。縛りがないのですよ」。 辻は長く美術教師をしており、いまの美術教育や会派での在り方に懐疑的だ。「今の美術教育の方法にも原因の一端があります。ものを「描く」よりも、ものを「作る」という授業が多いのです。野外写生や静物を勉強するとか、ほとんどないでしょう」と語る。描くことに美術の正道を行く辻の作品には底力がある。 金沢美術工芸大学油絵専攻卒業。一陽会に所属後、創造美術会へ。入選23回、受賞8回を経て審査員を務め、現在同会の北陸支部長。 スタジオ・イン 石蔵 TEL:(0761)24-3476 |
谷口章子陶磁展2002年10月25日(金)〜10月31日(木) くらふと&ぎゃらりぃ OKURA(石川県金沢市)
中学の美術の先生になるために金沢大学教育学部を卒業したが、授業で学んだ陶芸のことが忘れられずに金沢美術工芸大学聴講生を2年間、そしてモラトリアム期間(2年間)を経て、金沢市卯辰山工芸工房で3年間学んだ。29歳になっていた。「その都度、悩んだこともあったけど、やはりモノが創りたかった。うーん、働くのがキライだったのかな(笑)」。それから7年。東京や金沢での個展も順調に推移し、価格も非常に良心的だから扱ってくれるクラフトショップも全国に増えてきた。「工芸工房の2期生でチヤホヤしてくれて、ラッキーな面もあったのですが、やっとなんとか生活できるようになりました」。独身、「マネージャーと洗濯と料理やってくれる人がいれば最高なのですが(笑)」。 磁器は九谷の土、陶器は信楽の土を使う。釉薬は「買ってきたヤツに、ちょこっと足して」、何を足すのかはもちろん秘密。以前は、赤とか金墨(きんずみ)を多く使って賑やかな作風だったが、今はだんだんシックになってきた。「また賑やかになっていきそうな予感がします」。 面白いのは、カレンダー。2個セットのサイコロ型や12枚セットの壁吊り型などがある。文字を描いた器も谷口の特徴のひとつで、「初めは、雨とか有・無とか描いていましたが、最近はおめでたい福、笑、喜を書いています」。 くらふと&ぎゃらりぃ OKURA TEL:(076)263-3062 |
竹文化 八十山和代 展2002年10月24日(木)〜10月29日(火) 犀川画廊(石川県金沢市)
とにかく元気で活動的な人だ。遠方からの来客を駅まで送ると車を駆り、「大事な話があるのよ」と賓客なのだろう超早口で立ったまま喋り続ける。椅子に座っているのは取材の時と写真を撮られる時ぐらい、それも落ち着かなさそう。ま、久しぶりの金沢での個展の初日だから、あれやこれやと忙しいのは当然。しかし、絵はどっしりと落ち着いて、まさに威風堂々、それでいてスッキリと清々しい。"竹"の本場中国で好評を博したのもうなずける。 生まれたのは1959年ブラジル・バストス市、育ったのが石川県小松市で、22歳の時から京都に住んだ。竹(孟宗竹)と出合ったのは1984年、2年目の京都でのこと。それから18年間、ずっと竹だけを描き続けてきた。「私は竹、竹は私」、そういって憚らない。「太くてたくましくて、青々としていて、天に向かって真っすぐのびて。だけど、根っこはびっしりはびこり、地中で複雑にからみ合い、コンクリートまで割ってしまうくらいの勢い、その生命力に心を奪われたのです」。 2000年4月から1年間、中国西安美術大学へ留学、水墨画を学ぶ傍ら学生たちに油絵を教えた。2001年3月「帰国記念展」を中国西安美術学院美術館で行ない、2002年9月「八十山和代展」を北京と南京で行なった。11月にはカルカッタ(インド)が予定されている。 犀川画廊 TEL:(076)241-4188 |