第11回 なぜ開けない藤田嗣治展
白鳥正夫

今年2月、大阪・なんば高島屋で開かれていた「近代日本の絵画名品展」(朝日新聞社主催)で、藤田嗣治(1886‐1968)の大作「大地」を初めて見ました。1934年(昭和9年)、藤田48歳の作ですが、あらためてその非凡さに圧倒されました。世界的に有名を馳せていながら、藤田はどんな作品を描いたのか知らない人が多いのではないでしょうか。それは藤田の作品を集めての個展が開かれないからです。展覧会の仕事を担当する私も企画しながら実現しなかった藤田展は、「著作権の壁」が阻んだのでした。

幅15メートル超す壁画「大地」

「大地」は、幅968、高さ約245センチメートルもあります。もともと幅15メートルを超す大壁画として制作され、東京・銀座の聖書館ビル(現在の教文館ビル)内のブラジルコーヒー陳列所に飾られていました。しかし完成して6年後に依頼主が30パーセントを切り取り本国に持ち帰ってしまいました。その後、残りが広島のウッドワン美術館に所蔵され、今回の展示となりました。

雑誌『改造』(1936年3月号)での藤田自身の寄稿によりますと、ブラジルのコーヒー王と在日大使館の依頼で着手し、朝の9時から夜の9時まで毎日12時間、ほぼ1ヶ月間もかけて仕上げたそうです。コーヒー農園を背景にリオデジャネイロの町に生きる労働者たちの姿を活写しています。パリからの帰国直前に立ち寄ったブラジルの印象があったと思われます。画面には何と54人の人物と動物15匹が描かれています。それにしても、巨大なカンヴァスに、モデルも下図もなく一気に描き上げたデッサン力には驚嘆させられます。

私は新聞記者から企画マンになって10年を超えます。各地で数多くの美術作品を鑑賞してきました。多少なりとも審美眼が養われたつもりでいます。藤田の作品は各地の美術館の常設展示場で目にし、印象にとどめてきました。鹿児島県の長島美術館では、ピカソやユトリロ、シャガールらの名品の中にあっても光彩を放つ藤田の作品4点が展示されていました。中でも「横たわる裸婦」と題された作品は、乳白色の肌といわれる独特の筆遣いで、創作の美の極致を感じさせます。

私の自宅の書斎には展覧会の図録が増え続け、絵画に関しても著名な画家になると、展覧会ごとに入手するため何冊もあります。ところが藤田のものは一冊もありません。それもそのはず、著作権継承者である藤田の五番目の妻、君代夫人がカタログへの掲載を拒んでいるからです。そこには藤田の画家としての生き方と、その遺志を受け継いだ君代夫人の言い分がありました。

数奇な人生、従軍画家が転機

おかっぱ頭にロイド眼鏡とちょび髭、見るからに独特な風貌だった藤田は、数奇な人生をたどります。1886年、陸軍軍医の末っ子に生まれ、幼少から画家を志しました。東京美術学校西洋画科で黒田清輝に師事。渡仏、渡米を繰り返し、ピカソやモディリアニらと交友し、1920年代のエコール・ド・パリの寵児となります。第二次世界大戦で帰国後、従軍画家として戦争記録画を描きました。敗戦後、美術で戦争に加担したと追及されたのです。画家であることを優先し数多くの戦争画を描いたため責任の矢面に立たされたのでした。藤田は「日本画壇も国際水準に達することを祈る」との言葉を残し、日本を後にしました。そして再び祖国の土を踏むことはなかったのです。


おかっぱ頭にロイド眼鏡が印象深い、戦後まもないころの藤田嗣治。(「アサヒグラフ」より)

藤田は終戦後、アメリカ経由で再びフランスへ渡りました。以前と同様、パリで歓迎され評価を得た藤田は1955年、フランス国籍を取得。さらに59年にはカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタと名乗ります。その後、独自の様式で裸婦、自画像、猫、静物などを描き続けました。この間、私生活でも結婚、離婚を繰り返し、奔放に生きたのでした。

晩年はノートルダム・ド・ラ・ベ礼拝堂の設計と壁画制作に情熱を注ぎました。1968年1月、仏チューリッヒ州立病院で81歳の生涯を閉じました。異国での生活や奇行の数々もあって、藤田の業績は日本で正当な評価を受けなかったといえます。君代夫人は、藤田のやりきれない心情を思いやり、評価されなかった日本での公開を頑なに拒否することになったようです。

藤田の展覧会は不可能――。これが美術界の定説ともなっています。美術館の学芸員らは、異口同音に「魅力はありますが、とても無理」と言います。それもそのはず、戦後いくつかの展覧会が開催されましたが、トラブル続き。図録の販売が差し止めになったケースもありました。君代夫人は作品の掲載を認めないためです。図録はもちろんポスターやチラシなどにも印刷できないとなると、展覧会の計画を立てても観客を集めることができないからです。

今回の「近代日本の絵画名品展」の図録にも「大地」は掲載されていません。このエッセイにも反映できないのは残念です。

藤田の作品は現在、平野政吉美術館をはじめ、ひろしま美術館、ブリヂストンなど日本各地の美術館に点在します。仕事柄、日本各地の美術館で藤田の作品を見る機会に恵まれましたが、どの作品にも気品がただよい、その魅力に限りなく惹かれます。こうした作品を一堂に集め、鑑賞の機会を設けることができるなら、企画冥利に尽きるというものです。今や美術史家が「日本が生んだ世界のフジタ」と絶賛する藤田展は、もし実現すれば意義のある仕事といえます。

展覧会開催に著作権の厚い壁

新世紀にあたって、20世紀が生んだ世界のフジタの全容を――。そんな開催の趣旨を掲げ、正攻法で取り組むことにしました。2000年秋、君代夫人の著作権を管理している美術著作権協会に申し入れました。岡田幸彦理事長は理解を示し、「今の若い人たちの中には藤田の絵を知らない人もいる。新世紀に、朝日新聞社が展覧会を計画しているのは大きなチャンス」と、口添えしてもらいました。しかし夫人は首を縦に振ることはなく、再考を促すにとどまりました。

展覧会話が進展しない中、私どもが君代夫人を説得したいと申し出ましたが、「今は朝日新聞社の方とは会いたくない」とのつれない返事でした。岡田理事長から「戦後、日本でボイコットされた心の傷がまだ残っているのでしょう。日本の新聞社に対しても良い印象を持っていないようです」と伝えられました。君代夫人に一度も面会がかなわず、私は展覧会計画をあきらめざるをえなかったのです。

ところが2002年11月、講談社から『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』が刊行されました。2万1000円の豪華本の監修者は君代夫人でした。今年93歳を迎える夫人は夫同様フランス国籍のままです。「藤田を正しく評価しなかったのだから、忘れてほしい」と言い続けてきました。しかし画集として出すのなら、展覧会で作品を見せる方が、私はよほど藤田の再評価につながると確信するのですが……。


2002年に刊行された『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』(講談社)の宣伝パンフレットから、「カフェ」。(1949年、フランス国立近代美術館)

著作権の保護期間は、著作者の死後50年です。藤田の作品は2019年1月に著作権が切れるため、夫人の意図はともかく、競って展覧会が開催されることでしょう。保護期間についは、欧米では70年の国があり、わが国でも2003年の国会で、映画は70年に延長されました。私は、著作者にとって死後も長く保護されるのは本意とは思われません。著作者の業績が後世に伝えられず、文化の発展にも逆行だからです。

次回は「一市民画家の文化貢献」

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しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

 
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

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