第13回 駆け足イタリア美術紀行
白鳥正夫

古代ローマの伝統を受け継ぎながら、15‐16世紀のルネサンスを経て世界の芸術活動をリードしてきたイタリアは憧れの地でした。数ある名画の中でも世界遺産に指定されているレオナルドの壁画「最後の晩餐」は、一度はこの目でと思っておりました。また数十億円におよぶ日本の援助で修復されたミケランジェロの祭壇画「最後の審判」も現地に行かないと見ることが出来ないだけに必見でした。さらにラファエロが遺した数々のマリア像、このほかボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」「春」など枚挙にいとまがない美術の宝庫だからです。そのイタリアへ行ってまいりました。10日間の駆け足ツアーでしたが、十分に感動の旅でした。

人間の内面を描いた「最後の晩餐」

美術紀行としては、何といってもルネサンスに活躍した3人の天才の作品との出会いに胸踊るものがありました。まずレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452−1519)の作品では、日本だと「モナリザ」(フランス・ルーブル美術館蔵)の方が有名かもしれません。美術図版で見ても、あの謎の微笑は見るものを呪縛します。代表作の一つ「白貂を抱く貴婦人」(ポーランド・チャルトリスキ美術館蔵)は2001年9月、京都市立美術館で見ることができました。「モナリザ」同様、その優美な表情に魅了されました。画家が魂の動きをとらえ表現しているのが伝わってくるからだと思いました。

今回の旅でお目当ての「最後の晩餐」は、ゴシック建築の最高傑作といわれるミラノのドゥオーモから西方のサンタ・マリア・デッレ・グラーティエ教会とドメニコ会修道院の食堂の壁にありました。縦4メートル、横9メートルの大壁画は新約聖書の一場面を描いたものです。現地のパンフレットには1497年完成とされています。レオナルド一人が2年以上かけ仕上げたといわれています。


レオナルドの「最後の晩餐」



「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラーティエ教会とドメニコ会修道院

かつて行列をつくっての見学だったそうですが、現在はすべて予約制で、25人ごと15分間だけ見ることできます。料金は6.5ユーロ(約900円)です。修復は20年かけて1999年に終了しています。しかし見学者の持ち込む埃を最小限に食い止めるため特別のミニカーペット、空気フイルター、自動開閉扉で制御されていました。保存のためやむおえない措置といえます。

この作品の主題は、キリストの弟子の裏切りの予言とパンとワインを自らの肉体と血として弟子たちに分け与える物語性にあります。こうした宗教絵画を鑑賞するには、事前の知識が手助けになります。何の先入観もなく鑑賞したのでは、作者のメッセージを読み解くことができないからです。私は昨年5月に放映されたTBSの世界遺産の番組をビデオ撮りしていましたので、見るべきポイントをおさえておくことができました。

その一つが画面の構成です。食堂の壁を演劇の舞台に見たて、キリストをはさんで12人の使徒らの姿が横一列に写実描写を試みている点です。壁画に当時主流のフレスコ画で描かずテンペラを使ったのも特徴です。フレスコ画は絵が長持ちする反面、まだ渇いていない漆喰の薄い層に色を素早く塗らなければならない欠点があるためです。レオナルドは衣服などの青を描くにも二つの顔料を緻密に使い分け、重ね塗りをすることで深みを表現しています。

しかし何よりの見ごたえはイエスと使徒たちの表情です。聖人たちの頭上にある光の輪を排し、人物の顔の表情で内面を描く手法を取っています。イエスが「わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切るだろう」(マルコによる福音書)の言葉に、使途たちの嗚咽、苦悩、悲しみ、恐怖、諦めなど人間の内面に潜む様々な感情が見事に描写されておりました。

「最後の審判」に絶大な存在感

ミラノをはじめ、ヴェネツィア、フィレンツェ、シエナなどを巡回し教会や美術館で数多くの宗教絵画を見ていると建物の建築様式も変わり何が何だか分からなくなりがちです。とはいえ絶大な存在感があるのは、ミケランジェロ・ブオナロッティ(1475−1564)の「最後の審判」でした。広大なヴァチカン宮殿(博物館)は午前8時45分開館ですが、30分前から約1時間40分待ってやっと入館できました。入館料は10ユーロでしたが、おびただしい展示からすれば格安かもしれません。


ミケランジェロの「最後の審判」

開館前から長蛇の列のヴァチカン宮殿(博物館)

「最後の審判」は宮殿の一番裏のシスティーナ礼拝堂にありました。ここはローマ法皇の公的礼拝堂であり、法皇の選挙の行われる場所になるそうです。天井画はユリウス2世の依頼で1508年に描き始め4年の歳月をかけ出来あがったいいます。創世記を主題にしており、天地創造から人間の堕落、大洪水、ノア一家による人類再生まで9つの画面で構成されています。下から見上げてただただ、その天才振りに驚嘆するばかりでした。

しかし最大のハイライトは祭壇後方の壁面いっぱいに描かれた「最後の審判」です。ミケランジェロが何と60歳を過ぎて描き始めたのでした。横13メートル、縦14.5メートルのフレスコ画は、天井画の完成後30年を経て制作されました。絵の中央にマリアと聖人を従えたキリストが審判を下し、右側には選ばれた人が天国へと昇り、左側は罪深い人間が地獄へ落ちていく400人ものうごめく人が描かれた大胆な構図です。ここではカメラやビデオ撮影は認められず、自分の目にこの大作を焼き付けることに集中しました。

この不朽の名作が描かれた1541年当時の色を取り戻そうと、膨大な資金と何年もの期間をかけ修復されていました。このため背景の青や人肌の色など鮮やかな色彩を取り戻し460年以上もの作品とはとても信じられません。帰国後、買い求めたカタログと、わが家にある講談社版「世界の美術館 ヴァチカン美術館」(1966年発行)と見比べて見ました。まるで別な作品のような変化です。改めてイタリアの修復技術のすごさを感じるとともに、時代を感じさせる色合いが失われたことへの複雑な思いもしました。

人間の限りない可能性に驚愕

もう一人の天才、ラファエロ・サンティ(1483−1520)は、37歳の夭折でした。ヴァチカン宮殿の右端2階の4部屋には25歳からわずか37歳で亡くなるまでの作品がずらり展示されています。これより先、フィレンツェのウフィツィ美術館で代表作の「ヒワの聖母」を見ました。1505年22歳の作です。父が宮廷画家の恵まれた家庭に育ち、早くから才能を開花し、美しいマリア像を遺しました。


ラファエロ・サンティの「ヒワの聖母」

「ヒワの聖母」は、本を手にした聖母の膝の間に、息子イエスと幼い洗礼者ヨハネが持つヒワを描いていました。敬愛していたレオナルドの描いた「聖アンナと聖母子」の三角形の構図で描いており、気品に満ちたこの作品の前に立つと心がいやされました。

ウフィツィ美術館での人気作品に、サンドロ・ボッティチェッリ(1445−1510)の「ヴィーナスの誕生」があります。帆立貝に乗った裸のヴィーナスが画面左側に描かれた西風のゼフュロスガ送る愛の風に吹かれて上陸すると、時の妖精ホーラによってマントがかけられようとする構図です。


ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」

コの字形をしたウフィツィ美術館

「春」も中央のヴィーナスの周りに花の女神フローラなど美女たちを描き、この時代を反映するかのように華やかな雰囲気をかもしています。修復によって40種類もの草花を描き花言葉を織り込んだ作品といわれ、この絵もあまりにも有名です。これらの名品を生で見る魅力は格別でした。

いやはやあっという間の10日間でした。数カ月かけても見たりない芸術の都です。15世紀から16世紀にかけて時代を画した盛期ルネサンスを支えた3人の天才を中心に取り上げました。レオナルドは彫刻、建築をはじめ物理学や解剖学にも優れ、ミケランジェロは「ピエタ」や「ダヴィデ」「モーゼ」などの偉大な彫刻家であり建築家でもありました。人間の限りない可能性と芸術作品の偉力に圧倒され続けました。一方で、イラクでの日本人人質のニュースをローマで聞き、いまだ愚かな戦争を続けている落差に愕然としました。

次回は「中国集安・桓仁の高句麗遺跡」です。

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13]

しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。

 
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

※著書のご購入を希望される方は、メールに書名、冊数、お名前、住所、電話番号、メールアドレスをご記入のうえ編集部(artcity@notomedia.com)までお送り下さい。