第43回 写真展「アンコールと生きる」

「尊顔」の迫力パネルの並ぶ写真展会場(東京都写真美術館で)

いまだ訪れたことのない世界遺産のアンコール遺跡の姿が、まるでその地にたたずむような迫力で体感することができます。東京都写真美術館で8月14日まで開催されている「世界文化遺産写真展 アンコールと生きる」は、崩壊の危機に瀕しながら、自然と共生する遺跡の姿を生々しく伝えています。撮影したのはBAKU斉藤さんで、10数年にわたる執念の取り組みです。第7回にアンコール遺跡の拓本に情熱を注いだ道浦摂陵さんのことを紹介しましたが、かけがえのない人類の文化遺産の保存・救済へのメッセージを受け止めたいものです。

大型パネルで迫力のある展示

カンボジアでは6世紀ごろ、クメール族による仏教・ヒンドゥー教の国が栄え、プノンペンの西北約240キロ離れたアンコールの地に9世紀から王都による支配が続きました。15世紀になって王朝が衰退し、クメールの遺産は忘れられた存在となり、ジャングルの中に埋もれてしまいました。400年後の1860年にフランス人に発見され注目されましたが、1970年の内戦以降、遺跡は放置され風化や盗掘などによって荒廃したのでした。


「踊り子」らカンボジアに暮らす人々はカラーの集合写真で展示(東京都写真美術館で)

ユネスコは1992年、仏教とヒンドゥー教が融合した独特の文化による貴重な宗教建築物「アンコール遺跡群」を消滅から守ろうと、緊急に保存を有する危機遺産に指定しました。以来、日本をはじめ世界各国の協力を得て修復活動が進められ、2004年に危機リストから解除されました。この間、BAKUさんは1994年から、日本国政府アンコール遺跡救済チームに参加し、「尊顔」を中心に記録撮影を続けてきました。

今回の世界文化遺産写真展「アンコールと生きる」は、BAKUさんの体系的な仕事を捉え、強烈な自然の力と共存する遺跡群の現状、そしてそこに生きる人々の姿を描き出すものでした。地下の会場に入るなり、スポアンという巨大樹木にまるで食いちぎられるような石造物が目前に迫ってきます。暗い場内に2メートルを超す大型プリントのモノトーン写真が浮かび上がって見えます。

建物にしろ、仏像にしろ、石を積み上げた構造物に蔦が覆いつくしています。大樹の根が、まるで空中から降りてきて仏の顔をつまみ上げるように、四方八方に伸びています。全てがジャングルに半分飲み込まれているのです。その侵食に耐え切れずに石組みが崩れ落ちているものも多くあります。


「スポアンに抱かれて/タ・プロム」

「待っていたスポアン/タ・プロム」

しかしそれら植物と、石という鉱物とが一体となって新たな自然の造形物へと変化していっているようにも見えます。斉藤さんはそれを「共生」と呼んでいます。ジャングルを切り拓いて築かれた文明の都が、その滅亡後の時の流れの中で、また自然へと還っていくのかもしれません。これらの写真は、私たちは自然と共にしかやっていけないのだという、BAKUさんの思いを、如実に伝えているのです。

遺跡の回廊を進むように石造写真の通路を抜けると、メインフロアがあり、天井まで貫く仮設柱の四面に大きな「尊顔」がそびえています。4メートルもの柱が3つも林立する展示構成には圧倒されます。壁面に目を転じますと、2面にカンボジアに生きる人々や踊り子のカラー写真が集合的に展示されています。まるで過去の遺跡群と現在の人間を対比するような見せ方です。

会場には、自然と共生する遺跡や、遺跡と共生する人々といったテーマのBAKUさんが撮影した約180点に加え、デジタル3D映像でも遺跡を紹介しています。東京大学の池内克史研究室が制作した3D映像は、入り組んだ寺院の回廊を歩くように、また空から寺院全体の威容を見回すことができ、世界唯一のモニュメントです。

20メートルの足場を組み撮影

BAKUさんとの出会いは、朝日新聞社が主催した「アンコールワットとクメール美術の1000年」展でした。1997年末に東京都美術館で、翌年には大阪市立美術館で開催され、私は主催者の一員として参加しました。「アンコール展」にはプノンペン国立博物館やフランスのギメ東洋美術館などから約百点の石像や彫刻、寺院の壁面を飾った浮き彫りなどが集められました。


「タ・プロムの守護神B/タ・プロム」

「デスゲイド/アンコール・トム東大門」

BAKUさんの作品は「アンコール展」にも数多くパネル展示されました。東京会場で紹介されたのですが、BAKUさんの本名は斉藤富士男さんで、「夢を食う獏」にちなんで名づけられたと聞いたおぼえがあります。私も当時、シルクロードの仕事に取り組み始めており、意気投合したのです。

そのBAKUさんとカンボジアとの関わりは1990年、写真仲間と作品展の売り上げで現地に学校を寄付したのがきっかけになったそうです。94年にその完成式があり、初めてアンコール遺跡を訪ねたそうです。ちょうどその年、日本政府が組織した「アンコール遺跡救済チーム」(JSA)が、12世紀クメール王朝期に造られたアンコール・トムの中心寺院バイヨンの修復に取り組んでいることを知り、「自分に出来る映像の立場から、保存活動に協力しよう」と、その撮影を買って出たのです。

将来の保存作業や学術研究の資料として、撮影対象に選ばれたのがバイヨン寺院です。そこにそびえる尖塔には高さ5メートル余りの観世音菩薩ともいわれる巨大な「尊顔」がありました。6年間に延べ13回、ほぼ1年間以上の日数をかけ、52基ある四面塔をすべて撮ったのです。

密林の木を切り出して20メートル以上の足場を組み、大型カメラを構えての撮影です。気温は40度を超し、全身から汗が吹き出す苦しい作業だったといいます。引き続き、2003年夏までにポルポト派エリアにあったものも含めてバイヨン期の尊顔全て約260基を撮影完了しました。世界で初めて撮影したのでした。クメール文化に突然変異のごとく出現したこの「尊顔」が、クメール美術史の解釈にどのような位置付けが与えられるのか興味がそそられます。

私はこの朝日新聞社の展覧会を通じ、アンコールに魅せられた二人を知ったのです。その一人が拓本家の道浦さんであり、もう一人が写真家のBAKUさんでした。私は今も二人の活動を見守っているのです。BAKUさんはその後「アンコールの神々─BAIYON」や「BAIYON─アンコールのモナリザたち」などの個展を開いています。私はできるだけ会場に出向いてきました。光の角度や強度、石面の苔の生え方で変わる表情。BAKUさんが格闘した作品は、記録の域を超え、圧倒的な存在感を見るものに伝えるのです。

文化遺産保存へ記録写真の力


「アプサラの踊り」(カンボジア古典舞踊)

今度の写真展「アンコールと生きる」は、BAKUさんの集大成ともいうべきものでした。昨年春にお会いした時に概要を聞き、暮れに企画書や展示想定図案を拝見し、そのスケールを見聞していました。記録を超えて、人類の貴重な文化遺産の再創造に取り組むBAKUさんの心意気を感じたのでした。そこには崩壊と共生の両側面をもつ自然との微妙な関係にある遺跡群の姿、カンボジア民族の誇りである遺跡群を守り、そこに暮らす人々の姿を通しての文化遺産の再生・復活の願いが込められていました。

この写真展の特徴は単に遺跡の紹介にとどまらず、展覧会実現への実行委員会が作られ、文化運動アパッショナートという聞きなれない組織が支えています。大学や研究所などの研究機関、アーティストやミュージシャンら個人らの「文化再生」をめざす運動体です。「過去」の創造物から、人類の知恵で「今」に再生し、「未来」に引き継いでいこうとの目的です。その最初のプロジェクトとしてBAKU写真展が取り上げられたのでした。


トークライブで壇上に立つBAKU斉藤さん(左から2人目)

このため期間中に記念トークライブやカンボジアの古典舞踊「アプサラダンス」が開催され、様々な分野の専門家がギャラリートークを開いています。トークに出演された平山郁夫・ユネスコ親善大使と福原義春・東京都写真美術館長はで「法隆寺夢殿の壁画は、遺されていた1枚の写真がてがかりとなり、復元されました」「写真のもつ正確な記録は、文化を守り伝える力になります」と、異口同音にBAKUさんの遺産写真を評価されていました。

BAKUさんは展覧会と同名の写真集『アンコールと生きる』(朝日新聞社刊)の撮影後記に次のように記しています。「石造物に覆う大樹は、巨大な獲物に絡みつき、飲み干そうとする大蛇を見るようである。しかし、この樹木が崩れそうな遺跡を崩壊から守ってきたのである。樹木は朽ち果てる時、遺跡は永年の呪縛から解き放たれるが自立できずに崩壊する」

「森が朽ちると、遺跡も朽ちる」と言う、BAKUさんの言葉を、1枚1枚の写真が物語っています。アンコールの遺跡は、森によってしっかりと支えられていることを念頭に、今後の文化遺産の保存・救済を進めなければならないことを痛感しました。同時に写真家の大きな役割も認識させられました。

次回は「新シルクロード展所感」です。


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しらとり・まさお
朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)、『「文化」を旅する』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)などがある。

「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

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