栗田玲子さんの著作。『画廊の扉を開いて』の表紙は、山本容子の作品。画廊の扉を開いて入る黒い人影は栗田さん
第63回 女性画廊主の銀座ギャラリー日記

『銀座ギャラリー日記』と題した挿画入りの美しい冊子が届けられました。筆者は有楽町と銀座で画廊を経営し36年目を迎えるガレリア・グラフィカの栗田玲子さんです。この冊子は2005年4月から半年間、朝日新聞夕刊(関東版「マリオン」欄)に連載されたものを私家版としてまとめたものです。栗田さんは2000年に『画廊の扉をあけて』(講談社刊)を著しています。これらの著作の文脈をたどりながら、画廊稼業の日々を紹介することにします。

有楽町の「穴倉画廊」がスタート
「画廊の敷居は高いですね」とよくいわれる。(中略)
画廊の小卓を囲んで、アルコールなどを召しあがっている作家とお仲間の姿はよくある光景。作家の知人でない人は自分が邪魔者のように感じてしまう。(中略)
でも初めの一歩を踏み入れてみれば敷居は決して高くない。先日私の画廊で、生まれて初めて絵を買った青年がいた。(中略)
画廊は基本的には美術品の販売で成り立っている。私も長い間にその生業に慣れてしまっているが、画廊の扉を重いとも思わず、軽々と一歩を踏み入れた青年のすがすがしさに、初めて絵を売った頃のことを思い出した。
(『銀座ギャラリー日記』2005年4月7日)

栗田さんがこの稼業を始めたのは1970年です。有楽町の晴海通りに面したガード下にさしかかる手前角の小さなビルの地下1階でした。本人いわく「穴倉画廊」からのスタートです。それまで5年間、出版社の編集者をしており、結婚した相手が美術書の編集者でした。カナダに単身赴任していた父の元を訪れ、その後、主人の仕事の手伝いで欧米の美術館めぐりをしたのが、この道に入るきっかけになったといいます。

帰国後、美術の通信教育のスクールを軌道に乗せていた主人が「作品を展示したり、絵描きらが集まって議論したりする触れ合いの場がほしい」との要望もあって開設した寺子屋風の場所が「穴倉画廊」となったのです。イラストレーターを目指していた「窯変源氏物語」で知られる橋本治さんらが出入りしていたが、やがて熱意を失います。寺子屋から脱皮をと考えた栗田さんは、経験と資金不足ながら、版画を中心とした画廊へ一歩を踏み出したのでした。


わずか10坪の「穴倉画廊」で開いた「元永定正展」。右は針生一郎さん。(1974年、安斎重男さん撮影)

元気だった頃の故・坂倉新平画伯のアトリエの庭で。

版画を中心に数々の企画展

ガレリア・グラフィカという名前は、イタリア語でグラフィックな作品を扱う画廊という意味です。経済成長の続く当時、中産階級が形成され、絵画などの芸術が大衆化し、新しい表現としてのグラフィックアートが流行の兆しもあり、版画普及の条件があったからです。


ニューヨークのクリスティーズ・オークションで下見をする栗田さん

最初の企画がなんと「藤田嗣治版画展」。といっても裸婦や猫をモチーフにした版画ではなくフジタの挿絵を入れた挿画本のバラシ程度だったといいます。しかしこの展覧会を皮切りに、最初の5年間は毎年20数回もの連続企画展を実現します。この間、寺山修司さんや澁澤龍彦さんらものぞいたという「レオノール・フィニ版画展」や、仕入れの金策に苦労した「ポール・デルヴォー版画展」、作家のアトリエを訪ね直接分けてもらった「ブリジット・ライリー展」など意欲的に取り組みます。

13年間過ごしたという「穴倉画廊」では、関西で活躍する作家にも目をつけました。元永定正、津高和一、下村良之介、中辻悦子、東京に移住していた関根美夫らの個展を順次開きます。元永はオリジナル作品による年賀状などを発表し、後にコレクターが眼の色を変えて探したそうです。私も国立国際美術館の集いで時折りお会いし、酒席も共にしており、この時代のエピソードには興味が尽きません。

こうした関西の「具体」作家たちとの接点が出来、関西にもしばしば足を延ばしていました。新しい才能を探すのも楽しみだったといいます。京都の画廊に立ち寄った際に、貸し画廊で初個展を終えたばかりの作品を見せてもらったといいます。大きな画面に三角定規やバンドエイド、カミソリなどが並ぶ風変わりな作品です。「これは面白い」。栗田さんは直感し、すぐに連絡を入れ企画展に取り入れたのでした。それが当時、京都市立芸術大学の4回生だった山本容子との出会いでした。

画廊とアーチストとの関係はなかなかむずかしい。画廊の方からいえば、初めは才能に感じ入ったり、面白く感じたり、将来のびるだろうと期待して、いわば投資する。しかし、途中で失速してしまう作家がいれば、行き詰ってしまう作家もいる。画廊もつらいが、いつまでも投資を続けるわけにはいかない。(中略)しかし、自己を過大評価する未経験な作家もいる。また、計算高かったり、要求過多だったりの作家もいる。逆に、この「作家」という語を「画廊」に置きかえる場合もあるだろう。いずれにせよ、関係のバランスがこわれると、もう続けていくことができなくなる。
(『画廊の扉をあけて』から)

学生時代の山本容子を見出す


ギリシャのアテネにあるアレコス・ファシアノス氏宅で、壁画制作と個展の打ち合わせ

アレコス・ファシアノス新作展「ギリシャのアスリートたち」のオープニング(2004年、画廊で)

私が栗田さんを知ったのは6年前の2000年4月のことです。朝日新聞社主催の展覧会を数多く開催していただいていた大丸の催事責任者からの紹介でした。要はその頃テレビのコマーシャルにも登場していた「山本容子展」の提案でした。東京在住で一度も会ったことがなく、私とは何の接点もない人気版画家です。そんな私が全国10会場も巡回開催することになるとは、筋書きのないドラマを書き上げるようなものでした。この展覧会を実現できたのは、栗田さんの実績と熱意によるものでした。

山本は美術作品を伝える一つの手段として、本の装丁や挿画を手がけます。その代表作に吉本ばななの小説『TUGUMI』があります。リズム感のある画面構成と軽やかな線で描く作品は、女性たちに幅広く支持されたのでした。その後も目を見張るような創作アイデアで新たな分野に挑戦します。オペラのポスター原画を扱えば、ホテルや音楽ホールの壁画も制作。さらに和紙でデザインした茶室の「浮庵」や車の「蛍」なども創作するなど、どんどん仕事の領域を広げる発展ぶりでした。

展覧会は「山本容子の美術遊園地」と名付けられ、2002年1月に東京・新宿の伊勢丹美術館からスタートしました。デビューからの主要な銅版画を網羅しました。栗田さんが見初めた初期の珍しいカミソリの刃やバンドエイドの作品をはじめ、ゲーテの「ファウスト」の刊行で描いた原画などを展示。さらに挿画や装丁をほどこした数々の書籍、音楽のある空間などで構成し、約400点もの作品がまるで遊園地のようににぎやかに並んだのでした。


主に海外の美術書などが並ぶ栗田さんの仕事場

開催中の「ピカソ版画展」の作品チェックをする栗田さん

学生の山本容子を見出した栗田さんは、30有余年にわたって、節目節目に個展を開き、15回は数えます。「作家」の成長を、「画廊」としてのバランスを取りながら見守ってきたのです。それでも全容展にこだわり、「作家」以上にその実現を待ち望んでいたのかもしれません。人知れず何度か会場に足を運んでいた栗田さんの心中に去来していたものは、新たな才能を発掘した喜びだったといえます。

人々との出会いを楽しみ36年

「作家」との出会いは様々です。2004年5月に亡くなった坂倉新平と栗田さんの交流は33年間に及ぶそうです。18年間もパリで修行していた「作家」を紹介してくれたのは旧知の画家だといいます。山本とは違って、すでに実績があり、その形と色を愛した栗田さんは、やはり20回近く個展を開き、いい関係を培ってきたのです。ところがパーキンソン病で手足が不自由になり、晩年は立っているのも困難になってしまったそうです。

とうとう坂倉さんは力尽きた。病床で、ままならない手で書いたノートに「只エガキタシ」とあった。長かったような作家と画商の二人三脚。どっちがこけても続かない。もう新作展は開けない。
(『銀座ギャラリー日記』2005年4月21日)


銀座6丁目の画廊から新開発の汐留方面をのぞむ。電通ビルや高級ホテルが林立する。栗田さんの愛する銀座の街

栗田さんの画廊は、思い出の有楽町の「穴倉」から、銀座7丁目に移り、さらに6丁目で11年目になります。銀座・京橋界隈に約500軒といわれる画廊の中でも老舗に入り、2005年の『小説新潮』5月号で、早瀬圭一さんは「銀座の達人」として取り上げました。栗田さんの真骨頂は、30号まで続いた「ガレリア通信」、その後は「グラフィカ・コレクション カタログ」さらには個展の案内状まで、すべて自分で文章を書き発信を続けていることです。

画廊稼業は面白い。わたしには人間が面白い。その人間とのつきあいが面白い。画廊という場所でわたしはいろいろの人たちと出会うことができる。(中略)美術というキーワードをつかって共通の話ができる。わたしはこの画廊を、日々楽しんでいる。
(『画廊の扉をあけて』あとがきより)

冒頭の栗田さんの画廊で初めて絵を買った青年の話に戻ります。作品は現代ギリシャを代表する色の明るい版画で、値段は中サイズのテレビを買えるほどだったといいます。栗田さんが「テレビは買ったの?」と聞くと、「必要ないんです」と答えたといいます。青年にとって、1枚の絵がどれほど豊かな時間を彼に与えるのでしょうか。

別れ際、栗田さんは「いつでも扉を閉める覚悟は出来ています。でも銀座はわが街。もうしばらくこの地にいたいものです」と笑っていました。

次回は、「森口宏一の造形世界」です。


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しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院)『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
         
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館

夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
         


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