第73回 またまたオルセー美術館展

アーチ型のガラス天井のあるオルセー美術館の内部

またまたといっては失礼ですが、オルセー美術館展が神戸市立博物館で来年1月8日まで開催されています。今回は「19世紀 芸術家たちの楽園」のテーマで、日本経済新聞社主催としては3度目となります。開館10年目にあたる1996年に、「モデルニテ:パリ・近代の誕生」、そして1999年には「19世紀の夢と現実」が開催されています。関西では一時、プラド美術館展とルーヴル美術館展が競演し、まさに美術の秋の趣でした。海外に出向くまでもなくメジャーな美術館の名品が次々と見ることができ喜ばしいことですが、やはり現地で鑑賞するのは格別です。2004年6月にオルセー美術館を訪ね、半日がかりで駆け回ったことが感慨深く甦ってきました。

新天地や理想郷を求めた画家


ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジュリー・マネ」1887年(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

ベルト・モリゾ「ゆりかご」1872年(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

オルセー美術館はセーヌ川沿いにありました。1900年のパリ万国博覧会に合わせて建造されたオルセー駅を改装したユニークな建物です。外観からは駅舎だった頃を想像することができませんが、内部の高く大きなガラス天井に駅舎の面影をしのぶことができます。オルセーは同じセーヌ川沿いで威容を誇るルーヴルより規模が小さいこともあって配置が分かり易く、ジャン・フランソワ・ミレーはじめテオドール・ルソーやカミーユ・コロー、さらに数々の印象派の作品を堪能しました。この時の模様は、このサイトの第17回の「画家たちの聖地 パリ」に書き込んでいます。

展覧会の一般公開に先立ち開かれた内覧会の案内をいただきました。これまでと同じ神戸市博での開催ですが、普段はロビーとなっている1階まで展示に充てた会場構成です。その後のレセプションもホテルでの豪華なもので、主催者の意気込みが伺えました。面識のあった日本経済新聞社幹部によると、「過去2回の48万人、46万人を上回る50万人台が目標」と意気込んでいました。

まず展覧会の内容は、絵画だけでなく彫刻や工芸品、写真など140点で構成しています。19世紀後半のパリは、急激な都市化と産業化の中で華やかで活気に満ちた文化が花開いたのでした。人々はそんな都市生活を享受しました。一方、芸術家たちは自然あふれるフランスのノルマンディーやブルターニュにコロニー(共同体)といった理想にかなう制作の場を探し求めたのでした。

クロード・モネやポール・セザンヌらは都市を離れ、故郷で制作するようになりました。フィンセント・ファン・ゴッホやポール・ゴーガンは南フランスのアルルへ、さらにゴーガンは遥かタヒチ島にまで赴いたのです。ポール・シニャックやアンリ・エドモン・クロスたちも、「無垢な土地」を求めて地中海へと旅立ちます。そんな中、エドゥアール・マネやエドガー・ドガ、ピエール・ボナールらは、都会の片隅にあるアトリエで制作に没頭したのでした。

マネ、モネ、ゴッホの名品も展示


エドゥアール・マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」1872年(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

クロード・モネ「ルーアン大聖堂」1893年(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

こうした時代背景を経て生まれた数々の名品がオルセーの魅力です。最初のコーナー「親密な時間」で目を引いたのは、ピエール=オーギュスト・ルノワールの「ジュリー・マネ」(1887年)です。優雅な女性像は、一見してルノワールの作品と分かります。マネの弟ウジェーヌとベルト・モリゾ夫妻の一人娘、ジュリー・マネを描いたこの作品は、モリゾがルノワールに制作を依頼したとのことです。猫を抱く9歳の少女の姿は見飽きません。

モリゾの「ゆりかご」(1872年)は、第一回印象派展に女性画家としてただ一人、出品したのでした。この作品は現地で求めたカタログにも大きく紹介されています。モリゾは「過ぎゆくもののなかにある、取るに足りないものを」との思いから、平和な家庭生活や子供たちの遊ぶ情景などを好んで描きました。

そんなけなげで美しいモリゾをモデルにした作品が「芸術家の生活」のコーナーにあります。マネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(1872年)です。マネの弟子であったモリゾは、描くより描かれるモデルとしてしばしば登場します。

この作品は今回の展覧会のポスターやチラシ、図録の表紙にも採用されています。黒い服に黒の帽子が印象的で、顔半分に光がさす構図でモリゾの知性的な美貌を浮き上がらせています。

同じコーナーには、アンリ・ファンタン=ラトゥールの「バティニョールのアトリエ」(1870年)にも注目しました。画面にはマネのアトリエが描かれ、カンヴァスの前で絵筆を持つマネを中央に、モネ、フレデリック・バジール、エミール・ゾラ、帽子をかぶるルノワールらが取り囲んでいます。

アトリエを描いた作品がもう1点展示されています。バジール自らの「バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り」(1870年)です。バジールがマネとモネ(アストリュックとも言われている)に自作を披露し、階段の手すりをはさんで話すエミール・ゾラとルノワールらも描き込まれています。2つの作品はこの時代、アトリエが会合の場や展示会などになっていたことを物語っていて興味を覚えました。

「特別な場所」のコーナーには、モネの「ルーアン大聖堂」(1893年)が出品されています。この作品解説には「ルーアンの大聖堂のすぐ前の建物の部屋から、時間によって変化する大聖堂を描いた約30点の連作のうちの1点」とあります。このうちオルセーには5点が所蔵されているそうで、後年「睡蓮」の作品を数多く手がけたモネの創作姿勢をうかがうことができます。


フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのゴッホの寝室」1889年(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

画家たちは、創作活動を求めて新しい土地に移り住みます。モネはパリ近郊のアルジャントゥイユに過ごし、セーヌや河畔の散歩道、橋を描きました。そしてゴッホは南仏のアルルへ旅立ちました。新天地に芸術家村を夢見たゴッホは、「黄色い家」を借り、ゴーガンを迎える部屋にヒマワリを飾ろうと考えたのでした。

激しく短い生涯のゴッホはヒマワリと自画像であまりにも有名ですが、「アルルのゴッホの寝室」(1889年)が出されています。精神的な病のゴッホには寝室が休息の場所だったのかもしれません。一方、ゴーガンの作品も「黄色いキリストのある自画像」(1890−1891年)が展示されています。最初のタヒチ行きの数ヵ月前に描かれた作品です。

最後のコーナーは「幻想の世界へ」で、一際目立つのがギュスターヴ・モローの「ガラテア」(1880年)です。ギリシャ神話の中から、美しい妖精ガラテアの物語をテーマにしています。モローはほぼ2年にわたるイタリア旅行でレオナルド・ダ・ヴィンチらのルネサンスの巨匠たちに感化され内面の世界を描いたのでした。しかし「絵画というより装飾的な金銀細工品」との批判もあります。


ギュスターヴ・モロー「ガラテア」1880年(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

このほか、エミール・レベールとテオドール・デックの「花瓶」(1863年頃)やジョルジュ・ラコンブの「ベッドの木枠:存在」(1894−1896年頃)などの工芸品もあり、見ごたえ十分です。展覧会は、神戸展後、来年1月27日から4月8日まで東京都美術館に巡回します。

19世紀に花開いた印象派

フランスでは、古代からの美術品の宝庫であるルーヴル美術館と近代の作品を収蔵するボンピドゥー国立芸術文化センターに対し、オルセー美術館は19世紀後半の美術専門の美術館です。印象派の画家の作品が数多く収蔵された、「美の殿堂」となっています。

19世紀といえば、美術界の変動期です。何よりチューブ入りの絵の具が1840年代に発見されたことが大きかったといえます。それまではアトリエで描く肖像画や宮廷絵画が主流だったのです。画家たちは折りたたみ画架とチューブ絵の具を携えて戸外へ出向き、風景画を実写するようになったのです。

とりわけ農家に生まれたミレーは、パリで学んだ後、郊外のバルビゾンに移り住んで、晩年に隣接しているフォンテーヌブローの森の美しさに心を打たれ、多くの名作を遺したのでした。自然主義的な風景画を描いたミレーをはじめコロー、ルソーたちをバルビゾン派と呼び、印象派前夜を形成したのです。


エミール・レベールとテオドール・デック「花瓶」1863年頃(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

フランスに発し、ヨーロッパやアメリカのみならず日本にまで波及した美術及び芸術の一大運動となった印象派ですが、モリゾも出品した第一回印象派展ではモネの「印象 日の出」に対し「印象を描いたものに過ぎない」と酷評されたのでした。いまや人気の的になっている印象派命名のエピソードとして語り継がれているのです。

オルセー美術館は、まだ開館20年と歴史が新しいのですが、世界屈指の印象派コレクションとして一躍有名になったわけです。これまでに世界中から5000万人もの見学者が訪れ、200年以上の歴史をもつルーヴル美術館と人気を二分しています。

そのルーヴル美術館が2009年にフランス北部の人口わずか3万6000人の元炭鉱の町・ランスに分館を開館すると報じられました。今年9月16日付け朝日新聞朝刊によると、ポンピドゥー・センターもドイツ国境のメッスとアジア進出構想があり、ロシアのエルミタージュ美術館は米ラスベガスとアムステルダムに進出構想を進めているそうです。

このほか英テート・ギャラリーはリバプールなど国内3ヵ所に分館を開館し米NYのグッゲンハイム美術館はスペインに進出し、アラブ首長国連邦にも分館を開く見通しといいます。


ジョルジュ・ラコンブ「ベッドの木枠:存在」1894−1896年頃(C)musee d'Orsay-photo P.Schmidt

わが日本では、アメリカと提携して開館した名古屋ボストン美術館が存続の危機を取りざたされています。とはいえ、来年もメジャーな美術館の企画展が続きます。まずポンピドゥー・センター所蔵作品展が2月7日〜5月7日まで東京の国立新美術館で、エルミタージュ美術館展も3月14日から5月13日まで京都市美術館で、さらにベルギー王立美術館展が12月10日までの国立西洋美術館に続き4月7日から6月24日まで大阪の国立国際美術館で、それぞれ開催されます。

日本ではなおも「美術館冬の時代」ですが、美術館の国際化が進んでいることも見逃せません。

次回は、「世界で初めて染の美術館オープン」です。


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しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院)『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
         
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館

夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
         


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