タコ捕りおじいの船に乗って海に出る古谷千佳子さん(2007年、宜野座村にて)
第95回 活躍する二人の女性写真家

デジカメや携帯の普及で、「一億総カメラマン時代」です。それだけ写真への関心が高まり、メディアや芸術の中で、写真の持つ役割と位置は確実に大きくなっています。とはいえ写真家を目指すとなると、並大抵ではありません。体力とともに、取材やプリントなど資金もかさみます。何より根気強さが必要です。こうした多くの困難を乗り越えて写真家の道を着実にたどる二人の女性写真家を紹介します。沖縄の素潜り漁などを撮り続ける古谷千佳子さんと、ベトナムの辺境やハンセン病患者を継続して追う船元康子さんです。共に何年も前に偶然にお会いしたのですが、近年テレビで紹介されたり、写真集を出版するなどの活動に、あらためて注目しました。

女性海人写真家・古谷千佳子さん
沖縄の海に生きる漁師に魅せられて


「海人オジィのタコ漁図」(宜野座村、2001)

「ハッシャオジィ」(久高島、2005)

「イラブー」(久高島、2005)

久しぶりにブラウン管を通し、古谷さんの人なつっこい笑顔に触れました。2007年8月に放映されたTBS番組の情熱大陸で取り上げられた「海と彼女と、海人と」。海人(うみんちゅ)とは漁師のことです。身体ひとつで大自然の海原に生きる男たちの姿があります。番組では、世界でもここにしかないという伊良部島の海人たちの集団追い込み漁を撮る古谷さんを追っていました。

呼吸を合わせ、死力を尽くした海人たちの平均年齢は64歳。73歳の「おじい」もいます。魚群を追い込み一網打尽する海人たちの一瞬を、古谷さんが水中カメラに収めます。古谷さんのレンズは海人の強さや喜びの瞬間を見事に捉えていました。

沖縄の海の幸は年々減っています。そして海人たちも齢を重ね、次第に一線から退いていきます。海人たちの生き様を撮り始めて7年余、これらの写真は作品としてだけではなく貴重な民俗資料でもあります。番組の結びで、古谷さんは「まだ撮りたいモノがあるから、ここから離れられません」と語っていました。

古谷さんと出会ったのは2004年1月、沖縄の久高島でした。琉球開闢(かいびゃく)・五穀発祥の聖地とされる旧正月を祝う島を訪れた時です。華奢な身体に重いカメラバッグを担ぎ、島の人たちを撮っていたのが印象的でした。

漁師らが浜辺に車座になって酒を飲み交わす「初興し」という祝事に誘われたのでした。三線(さんしん)と太鼓に合わせ沖縄に伝わる祝い歌が披露されました。たまたま隣り合わせた古谷さんと名刺を交換し、話すことになったのです。沖縄の海に魅せられ、東京と沖縄に住まいがある、とのことでした。

私は旅の本を書くことになり、大阪市立図書館で沖縄の資料を調べていたところ、古谷さんの撮った写真を目に止めたのでした。『沖縄ウミンチュ 一人追い込み漁に生きる』(河出書房新社刊)の写真を担当していました。モデルは87歳で、なお現役の海人、仲村善栄さんの生き様を編集したものです。古谷さんの写真が仲村さんの姿を生き生きと表現していて、心を打ちました。

東京生まれの古谷さんは家族旅行で沖縄を訪ねた15歳の時に、ゆくゆくは、海が美しく移住したいと思ったそうです。美術系大学で油絵を専攻した後、大手企業のOLになります。24歳の時に念願の移住を決行し、漁師の見習いをします。27歳になって東京に戻り、スタジオで写真技術を学びます。29歳で再移住し、女性海人写真家へ転進したのです。


「グルクンブルー」(宮古島、2007)

久高島で会ってから1年後、古谷さんから手紙が寄せられたのでした。沖縄県豊見城市からの発信です。そこには、東京で広告や雑誌の撮影で生計を立てながら、「撮りたいモノに集中したい」と、沖縄に住み込み、海辺の暮らしをライフワークにしていることが綴られていました。そして2月にテレビ朝日系列で全国放映される番組の案内チラシが同封されていました。

「いきいき! 夢キラリ」の30分番組で、「老人と海とポニーテール」のタイトルで放映されました。この番組では、タコ捕り名人の宮城亀太郎さん(当時78歳)とともに海にもぐり、名人技を撮る古谷さんを取り上げていました。人が自然の一部である」と思える素潜り漁。それを追いダイビング撮影する古谷さんは、絵画とは違った写真の表現世界にのめりこんだようです。「身体で吸収したものを表現できます」と満足気に話していました。


「海人ごはん・ウニおにぎり」(2007)

古谷さんの活動(http://www.chikakofuruya.com)は、テレビやトーク、写真展と広がっています。10月31日まで、神奈川県藤沢市の新江ノ島水族館なぎさラウンジで、個展「沖縄・人と魚の体力勝負 激突!海人VS美ら海軍団」が開催されています。引き続き11月から半年間、福島県いわき市の環境水族館アクアマリンふくしまで、個展『海人ごはん」が開かれます。

「テレビ見たよ」との電話に「ありがとうの弾む声が返ってきました。その日届いた古谷さんからのメールには、次のような文章が寄せられていました。「『私達は様々な命をいただいて生きている』という当たり前、でも都会では忘れがちな大切な事を伝えていきたいと思っています」

『ONNA 女』を出した写真家・船元康子さん
辺境やハンセン病、助産師などテーマに


白モン族の女の子たちと記念写真の船元康子さん(2002年1月、ライチャウ省シンホーにて)

夏のある日、手元に重厚で見ごたえのある写真集が届けられました。表紙には『ONNA 女』(新宿書房刊)とあり、ベトナム山岳民族女性の顔、しかも鼻から上が大写しされています。二人の写真家の名前が「中原英明+船元康子」と記されていました。

写真集は、船元さんが2006年6月にガンで亡くした夫と共に、計13回も通い、延べ300日をかけて撮った作品136枚が収められた力作でした。同じ写真家の道を歩んでいたご主人の遺作であり、船元さんにとっても感慨深い1冊の写真集だったのです。

船元さんのもう一つの顔は、写真週刊誌『FRAIDAY』(講談社刊)の報道カメラマンです。2007年6月1日号には、本誌女性カメラマンと亡き夫の最期のドキュメントとして、「ベトナム山岳民族『美しき女たち』の横顔」が、見開きで紹介されています。


モン族のおしゃれの一つである金歯(2001年8月、ハジャン省ドンバン)

写真集の作品は、中国やラオス国境近くのベトナム北部山岳地帯に暮らす少数民族の伝統衣装で着飾ったポートレートが中心です。帽子や耳飾り、腕輪など装身具も丹念に撮っています。少し驚くのは、女性たちの金歯のアップ写真です。この地域では、女性たちが田畑で働き、女性の方が強いといいます。金歯はおしゃれを兼ね、自分の身に付けた財産で、換金のため利用することもあるわけです。

後日、お会いした時に「なぜベトナムへ」と聞くと、やはり長期にわたった戦争後の民衆の姿を見たいと思ったそうです。「写真集には北部山岳地帯を取り上げましたが、私たちはその他の地域も含め20回は通いました。ほとんどが国境地でした。そこでは密輸なども行われており、したたかに生き抜く民衆の力を感じさせてくれました」と、熱っぽく話していました。


赤モン族の女たち(2002年1月、ライチャウ省ライチャウ)

16歳のサンチ族の女の子(2004年1月、カオバン省バオラックにて)
以上、『ONNA 女』写真集より

この写真集の末尾に写真家の菅洋志さんが「写し出された人間たちの生き抜く力に共感し、山に生れ育ち、死してゆく人間の存在証明的ポートレートを撮ることで、写真家の表現領域に迫っていた。生き抜く人間の凄みと哀れみを見据えた視線は確かだ」と、評しています。

船元さんとの出会いは1999年に遡ります。私は朝日新聞創刊120周年記念事業として、東京・上野公園の東京都美術館で「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」展を企画し、その一環として銀座の富士フォトサロンで「三蔵法師の道」写真展を催しました。その隣室の展示スペースで開かれていたのが船元さんの個展でした。

その時、船元さんは第1回の「富士フォトサロン新人賞1999」に選ばれ、「生きるとは―ハンセン病療養所の仲間たち」展が開かれていたのです。94年から5年間にわたり、東京・東村山市にある国立療養所の多磨全生園で暮らす患者たちの日常を撮っていました。

ハンセン病は、らい菌によって皮膚や末梢神経が冒される感染症で、顔面や手足が変形し、かつては強制隔離されました。今では化学療法で治る病気ですが、なおも差別と偏見に苦しみながら生きているのです。船元さんは何度も通っているうちに、次第に心を開き、話し相手になり、写真を撮らせていただけるようになったといいます。その一人に大津きんさん(当時76歳)がいました。

部屋では、大津さん手作りのてんぷらをごちそうになったり、ビールを飲むこともあった。大みそか、元旦を一緒に過ごし、宿泊させてもらったりもした。気がついてみると、1年後には、大津さんの入浴や足の手術痕の消毒に立ち合わせてもらうなど、できるようになっていた。『FRAIDAY』1999・8・20/27号より抜粋)


療養所内にある自宅の庭にてくつろぐ矢里和夫さん、大津きんさん夫妻(1998年3月)

船元さんは、その後も多磨全生園に通い、何人もの患者たちの死を見とどけています。「生きるとは、大変なことですが、私は患者たちから多くの勇気をいただきました。出来ればこれまで撮りためた写真を出版にして遺したいです」と話していました。最初は報道カメラマンとしてハンセン病療養所を訪れたのかもしれませんが、船元さんの温かい視点は、多くの人に「人生とは」を訴え考えさせるメッセージ性があるのです。

さらに船元さんのライフワークに助産師を撮り続けています。もともと北海道生まれで、北大医療技術短期大学部で助産学を専攻しており、卒業後5年間、都内の病院で助産師として勤めていた経歴の持ち主です。1993年に東京写真専門学校に入学し、報道科で2年学び、写真家への道に転進したのでした。


新潟県旧山古志村木籠集落の様子
新潟中越地震で川が土砂でせき止められ水没した約1年半後の様子(2005年4月、新潟県旧山古志村で)

「いまでも赤ちゃんをとりあげることができますよ。たぶん私の手が覚えています」という船元さんは、『助産雑誌』(医学書院刊)に密着フォト・ルポ「助産師のいる風景」を掲載しています。2007年5月号には、産婦が臍帯切断する写真が巻頭を飾っています。このほか『FRAIDAY』では、報道カメラマンとして新潟・山古志村のフォト・ルポなども手がけています。

古谷さんと船元さんの2人の女性写真家に共通しているのは、主として人間を被写体にしている点です。心を開いてくれなければ、いい写真は撮れません。それぞれの生き抜く姿に感動する心で写しているから、見る者に感動が与えられる作品が生まれてくるのだと確信しました。

次回は、「トプカプ宮殿の至宝展」です。


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しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院)『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。


アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月上旬
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:1,300円+税
発行:三五館
序 章 名画を決めるのはあなた
第一章 日本で見た世界の名画
第二章 美術から知る世界
第三章 時代を超えた作品の魅力
第四章 心に響く「人と作品」
第七章 アートの舞台裏と周辺
第八章 これからの美術館 
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:1,400円+税
発行:三五館
         
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
         


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